平成11年11月11日生まれ(11歳になりました!)の我が娘を語る親ばかサイトです。

子育てを通して父と母が思ったことや学んだことなどをちょっとずつ紹介していきます。

1999年11月 5日

転院

朝9時半、僕は会社を休み、Shokoとふたり、恵比寿駅西口で宗先生と待ち合わせる。浦野先生のアポはまだ取れていなかったが、取れ次第すぐに会いにいけるように育良クリニックに近い恵比寿駅で連絡を待つことにしたのだ。宗先生とはこれが初対面なのだが、こんなに親身になってくれるとは涙が出るほどありがたかった。麻由美さんが浦野先生とも面識があるので、担当助産婦としてShokoを紹介するという形をとることになったのだが、なかなか麻由美さんから面会OKの電話がこない。次第に不安になる二人を尻目に宗先生は、すぐ会えるように育良の傍まで行っていようと、恵比寿駅から育良クリニックに向かって歩き出す。10分ほど歩き、そうしてとうとう育良クリニックの目の前まで来てしまったところで宗先生の携帯電話が鳴る。麻由美さんからだ。しかし電話の内容は思わしいものではなかった。麻由美さんから大体の事情を聞いた浦野先生は、A先生の紹介状とレントゲン写真を持って来れば会う。それが無ければ会わないと言う。目と鼻の先まで来ているのに、出直さなければならず、わざわざ来ていただいた宗先生に申し訳なかったが、何はともあれ、会ってもらえることにはなったので一安心、一旦荻窪に戻り、Aクリニックに行くことにした。だがA先生に事情を話すのはちょっと気が重かったので、自然と二人とも足取りは重くなるのだった。

Aクリニックに着いて、順番を待ち、診察室に入るとA先生は満面笑みでとうとう決心してくれたかと話し掛けてくる。 実は・・・と切り出し、事情を説明すると、一転、A先生は鉄仮面のような無表情になり、
「いいですよ、僕は喜んで紹介状を書きますよ」と、お荷物が片付いてせいせいすると言わんばかりの調子でおっしゃる。Shokoと僕は恐縮しながらも、その場で書いてもらった紹介状とレントゲン写真をもらい、Aクリニックを後にした。これで育良に断わられたらもう、自宅で自力で産むしかないねと半ば自虐的になりつつ、再び恵比寿に向かった。

やっとのことで浦野先生との面談が叶った。超多忙の浦野先生、昨夜もほとんど寝ていないそうで、予想を上回る不機嫌さだった。まず診察してもらい 、その後二人で話を聞く。浦野先生曰く、A先生の帝王切開という判断は適切であり、本来ならこんなこと(予定日直前に受け入れること)したくないが、レントゲンを見ても胎児の大きさを見てもこれなら経膣出産は可能なので、今回は特別に受け入れてくださるとのこと。

(よかったァ・・・)

体が軽くなるほどの安堵感。そしてShokoの喜びは僕のそれの比ではないだろう。ここ数日間の重苦しい気持ちが一気に晴れ、出産に向けて目の前が大きく開けたような、希望に満ち溢れた気分。浦野先生にお礼を告げ、二人はスキップせんばかりに家路についたのだった。

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