平成11年11月11日生まれ(10歳になりました!)の我が娘を語る親ばかサイトです。

子育てを通して父と母が思ったことや学んだことなどをちょっとずつ紹介していきます。

2005年8月アーカイブ

2005年8月 1日(月)

いおぴーお泊り

shokoがとうちゃんといおぴーを置いて長野へ避暑に出かけてしまったので、今日から(多分)土曜日までいおぴーはおばあちゃんの家へお泊りする。

お菓子食べ放題、TVも見られる、何でも買ってくれる、夢のような日々を前日までは楽しみにしていたいおぴーだが、今朝とうちゃんがおばあちゃんのところまで送っていく道のりでは、おそらくプレッシャーと闘っているのだろう、不必要に良い子になっていてちょっと可哀相だった。土曜日までがんばれるかな。

2005年8月 2日(火)

サマージャンボ

サマージャンボ宝くじの販売が今日まで。100枚買おうか、いやいや思い切って200枚買っとこうと気合を入れていたが、買うの忘れた。ていうか買いに行く暇なかった。

3億円は逃したが、ここはポジティブに6万円儲かったと考えて、この6万でMac miniでも買おうかと思っている。

2005年8月 3日(水)

暑すぎ

またやってしまった。財布(Suica入り)を忘れたのを駅について気がついた。このくそ暑い中家まで歩いて帰り、汗だくになったので着替えて出かけた。shokoが帰ってくるまで洗濯しないでしのぐつもりだったのに計算が狂った。

帰宅は連日11時過ぎ。暑くて何もする気が起きない。この夏はじめてエアコンのスイッチを入れる。もうこれ以上シャツを消費するわけにはいかない。ていうか、洗濯しないと。

2005年8月 4日(木)

電話した

目が覚めたら8時半だった。遅刻。昨日shokoの日記を読んだらいおぴーに電話をしたらしいので、まけじととうちゃんも電話してみる。おじいちゃんが出ていおぴーに替わった。オフで(ほらおとうさんだって心配してるのよ)というおばあちゃんの声。察するに、昨日かあちゃんから電話があった後、「おかあは電話くれたけど、おとうは電話くれない。おとうはイオのことが心配じゃないんだね、おとうキライ」てなこと言ってたんだろう、いおぴー。電話したくてもいおぴーの起きてる時間は電話する暇ないんだよ。電話ではなんか抑揚の無い声で、横でおばあちゃんが言うことをそのまま繰り返してた。「音楽博物館行く」とか「信濃町」とか。なんか悲しかった。

寂しいととジャンク食べたくなるのは世の常。今日はココナッツポッキーとドラ焼きとカルピス世界フルーツ紀行「カルピス」が常夏のフルーツと出会いましたハワイアンパイン。378円也。

2005年8月 5日(金)

とりみき顔

たまにPCでなく紙に向かって仕事をしていると、手は無意識に落書きをしている。ついついいおぴーの似顔絵なんか描いたりしていて、気がつくとあっちにもこっちにもいおぴーの顔が描いてある。それを見て思ったのだが、いおぴーってとりみき顔だよな。

明日は朝ひと仕事して、図書館へ予約した本を取りに行ってからいおぴーを迎えに行こう。でも明日もポケモンラリーやるなら迎えに来なくていいっていわれるかもな。

2005年8月 6日(土)

お迎え

朝電話したら、案の定スタンプラリーしたいって言うから、夕方迎えに行くことにした。まずは洗濯。そしてひと仕事。12時ごろまでかかってしまい、それから図書館に行った。考えてみるとひとりで図書館に行くのは久しぶりで、いおぴーがいないとなんだか逆に落ち着かなくて、さっさと本を借りて帰ってきた。

4時半ごろ迎えに行ったら、いおぴーもちょうど帰ったところだったらしい。とうちゃんが迎えに来るまでに帰らないととあせっていたそうだ。やっぱり嬉しいんだな。でも帰りの車で「おとうとおかあ、どっちがたくさん電話してきたと思う?」とチクリと言われた。いおぴーが寝る時間まで仕事してるから電話する暇なかったって言ったら、納得してくれた。

地元で盆踊りをやっていたので、行ってみた。まだ準備中だったので、一旦帰って夕食の後また出かけた。屋台が出ていていろいろせがまれる。しばらく離れていたのもあってつい甘くなり何でも買ってあげたくなる。綿飴、ソースせんべい、スーパーボールすくい、ヨーヨー釣り、ダーツと散財。といっても450円だが。

寝る前に、「月曜日、イオどうするの?」と尋ねるいおぴー。shokoが月曜に帰るのでおばあちゃんに月曜の朝にまた預かってもらうようにお願いしていたのを聞いていたらしい。とうちゃんが答える間もなく、泣きながら「もう行きたくない。おとう、会社休んで」と言う。とうちゃん、かあちゃんがすぐ迎えに行くからとなだめるが、「いやだ。おかあが帰るまでおとうと一緒にいたい」となおも泣く。やはり相当さびしいのを我慢してきたのだろう。可哀相な思いをさせてしまった。

かあちゃん、朝一番で帰ってくるように。

2005年8月 7日(日)

泳げた!

いおぴーが朝起きるなり「明日おばあちゃんの家行きたくないなー」なんて湿っぽいこと言ってる。shokoはやはりこの期に及んで自分のエゴを優先し帰ってこないようなので、いおぴーが不憫になって今日は一日何でも言うとおりにしてやろうと思った。で、なにしたい?と訊いたら、昨日までは三角か交通公園と言っていたのに、「プール行きたい」と言い出した。今年はまだ一度も行ってないし、今日も暑そうだから公園で遊ぶよりはましかなと思って、支度をし、昭和記念公園のプールに出かけた。

まずは流れるプールや波のプールで遊ぶ。去年は一日中流れるプールでも満足していたが、今年は「泳ぐ練習したい」と言って、普通のプールで手や足を使って前に進む練習をする。とうちゃんに「離れたとこに立ってて」と言ってそこまでを目標に進む。もちろん浮き輪を使ってだったのだが、とうちゃんが試しに「浮き輪なしで練習してみたら?」と言ってみたら、妙に乗り気で「じゃあ、今日はおとう学校で泳ぎの勉強の日ってことね」と言って、浮き輪なしに挑戦。やってみたら、いきなり泳げた。手足の動かし方が変であまり進まないものの、とりあえず息が続く限り浮いて動いていた。次に手足の使い方を教えたら、3メートルくらい進めるようになった。息継ぎができないのでそれ以上距離は伸びそうもないが、本人は浮き輪なしで泳げるようになったのが嬉しくてたまらず、「イオ、泳ぐのぜんぜん怖くない。それどころか面白い!」と、その後ずーっと泳ぎの練習に明け暮れた。

木登りも自転車も泳ぎも、人一倍の好奇心と自分のがんばりでできるようになってしまういおぴーって、すごいと思う。そしてできるようになった時の喜び方がとっても眩しい。とうちゃんが子供の時ってできない事に対してはもっといじけてひねてた気がする。いおぴーがとうちゃんに似ず明るく良い子で嬉しい。

そして、とうちゃん日焼けで肩と背中がヒリヒリ激痛い。

2005年8月 9日(火)

たまごっち

いおぴーにたまごっちをねだられた。泣ける。

2005年8月10日(水)

いいひと

なんかの話の流れでshokoが「イオにもいつか良い相手が現れるのかな」と言ったら、
いおぴー「良い相手って?
shoko「おとうよりもっと良い人」
いおぴー「おとうより良い人なんていないよ!

すごく疲れて帰ってきたとうちゃんだが、この話を聞いてちょっと緩んだ。

2005年8月11日(木)

生きる

生きるということをつきつめて考えた時、結局のところ

  1. 子供を守る・育てる
  2. 食べるために働く

これ以外は本質的に不要なのではないかと思った。これ以外の行動はすべからくこの2つに貢献するものであるべきだし、これ以外の行動をこの2つより優先させることは本末転倒である。生き物として病んでいる。

ところが人間は往々にして、これ以外のことにうつつを抜かし、それをして人間らしさと呼んだりする。そうだとすれば人間は相当に壊れた生き物と言わざるを得ない。

そのような人間は物事の判断基準が「正」でなく「楽・得」となっている。「正」はこの世の中すべてに対して理に適っている、きちんと整っているということであり、ありのままに生きれば自ずと正しい選択をするように生き物はできている。にもかかわらず、人間だけは自分の気持ち、自分の利益といったものに拘り、この世界にとって何が正しいかが見えなくなっている。「自我」というやつだ。

より良く生きるための道具として発達したはずの大脳だが、大きすぎると副産物も大きく、「自我」というノイズが本来の役割以上に人間の生き方を左右してしまっている。

煩悩を捨て、無我の境地に至ることは即ち脳を正しくコントロールするということだが、それが凡人にとって至難の業であるという事実は、巨大な脳を持つに至った人間が生物進化の失敗例だということを端的に示していると言える。人間の脳より象の鼻のほうが道具としてよっぽど優れている。

とはいえ、希望を持って自覚的にひとつずつ「正しい選択」を重ねていくことが、人間なりの今を生きる意味なのだとも思う。

とうちゃんはひとまず、冒頭に挙げた2つに自覚的に生きてみよう。

2005年8月12日(金)

命の単位

昨日書いたことをさらにつきつめて考えたところ、2の「食べるために働く」というのも、本質的には不要に思えてきた。周りに食べ物があふれていれば、食べるために働く必要もないし、shokoにいわせると食べなくても生きてる人もいるらしいし、そもそも、食べようが食べまいがいずれは死ぬわけで、食べることが生きることの本質にかかわるというのは違う気がする。必要があれば本能が知らせてくれるから、必要に応じて食べる。食べ物が無ければ探す。手に入れるために働く。それだけのことだ。睡眠と基本的には変わらない。睡眠は自己解決できるが、食事は外に求めなければいけないというだけの違いだ。

というわけで、生きる本質は、「子供を守り、育てる」これに尽きる。これは子を持つ親だけに限らず、すべての人がそのための役割を担って生きている。

いきなりつきつめた結論だけを書いても訳がわからないとshokoをはじめ、多くの人(といってもそんなに多くの人は読んでいないと思う)が思ってるだろうから、こう考えるに至った過程を書く。

まず、大前提としてあらゆる生命の中で、「人間だけは特別」という考え方は否定する。今の時代に限れば人間が他の生物に対して絶対的な権力を握っているという以外に、歴史的に見ても生物学的に見ても人間を特別視する理由はどこにもない。神様に似せて造られたからというのも無しで。

人間を含むすべての生命体は遺伝子という共通のシステムを持っている。自分の子孫を残すためのシステム。人間もゾウもカエルもミジンコも基本的には同じ目的を持つシステムで動いている。人間だけが違うことをするために生まれたと考えるのは不自然。こうした考えをもとに、人間の生きる意味は他のすべての生物が生きる意味と共通であるはずと考える。

次に、「生きる」というのは命があるということだが、その時、では命の最小単位は?と考える。普通は自分の命、いおぴーの命と個人が単位となるが、自分のからだの一部、細胞一つ一つも生きているわけで、それぞれ同じDNAを持っている。なのに、爪や髪の毛は切って捨てるのは平気で、爪や髪の命を大切にとは言わない。もちろん自分の体を傷つけるのは良くないとされるが、それも細胞の命を尊んでいるのでなく、個人の命の一部という考え方だろう。つまり、自分の命を維持するために小さな命を消費して生きているのである。別にそれが悪いことだと言うつもりはなく、それが「生きる」ということだ。

では、逆に自分の命よりも大きい単位は無いのだろうか。生まれ、自分の役割を果たし、死んでいく個々の人間を細胞に見立てれば、人類全体が個人の命を代謝して生きる大きな命と言えないか。実際、アリやハチのように集団そのものをひとつの生命体とみなすほうが自然な生物もある。人間が個人を単位とする理由は、脳が考えているから脳を単位にしているに過ぎない。もし個々にモノを考える大脳でなく、個々の個体をテレパシーで結ぶ能力を発達させていれば、命の単位は人類(もしくは社会)という単位になっていたかもしれない。

この考えをさらに敷衍させると、人類という区切りは矛盾を孕んでいることに気づく。すなわち、では人類という命の誕生はいつなのか、という問題である。猿人と人類は別の命なのか、類人猿は?となる。個々の命が子孫を産み、代謝することで大きな命が生きているとするなら、どこまで遡ってもひとつの命である。人間は原初生命の誕生から現在まで生き続ける大きな命の一部として生きているのだ。

人間が生きるということは何か、自分が一個の細胞だと思ってみれば自ずとわかる。大きな生命を生かすために生き、子孫を残し、死んでいくこと。それだけだ。そんな人生はつまらないと思うかもしれない。(実際、わしもどうしてもそう思ってしまう)が、そう思っているのは実は「自分」の脳だけであり、脳で考えないでいられれば、それだけの人生に大いなる幸せを感じられるかもしれないのである。というか、本当の幸せとはそういうことだと思う。

2005年8月13日(土)

横浜で野球観戦

ジリアンが日本に戻っているというので会いに、車で金沢八景へ出かける。1年ぶりなのについこの間あったような気がする。時の流れの速さに驚く。

帰りに横浜に寄って、横浜スタジアムで野球観戦。いおぴーはユニフォーム・キャップ・傘持参。横浜対ヤクルトなんて直前に行っても余裕では入れるだろうと思っていたら、結構混んでいてびっくり。外野立ち見は厳しいので指定券を3枚買った。3人で野球観戦というのはもちろん初めて。shokoとは10年近く前に一度ナイター観戦したが、あまりにもつまらなそうだったのでそれ以来一緒には行っていない。でも今日はいおぴーと一緒になって手拍子して応援したり、楽しそうに振舞ってくれたので嬉しかった。shokoも少しは大人になったな。

黒い雲が出てきていやな感じだなーと思っているうちに、雨が降り出し、3回表が終了したところで中断となった。かなり強い雨で、雷も鳴り響いている。いおぴーは雷が怖くてたまらず、「もう帰る!」と泣いている。帰るにしてももう少し雨脚が弱まらないとずぶ濡れになってしまうので、しばらく様子見。30分くらい待つと、雨はほとんど上がり、試合再開となったので、やはりもう少し観戦していくことにする。再開早々、特大の場外ホームランが出て、いおぴーは「外歩いてる人大丈夫かねー」と目を丸くしながら心配していた。

スワローズがなかなか得点できず0-2で8回まで来た。8回の攻撃が終わったら帰ろうと決める。するとようやく反撃して1点取り、いおぴーは傘を振りながら東京音頭を歌うことができて、満足。球場を後にする。試合ペースは速かったが中断の影響もあってこの時点で9時なので、いおぴーはもうネムネムだ。車に乗ったらすぐに眠った。

家に帰って試合結果を見たら、3-4xになっていて驚く。9回に逆転して、その裏逆転サヨナラ負けしたらしい。最後まで観ていたらかなり徒労感の残るゲームだった。早めに切り上げて正解。

2005年8月14日(日)

高井戸プール

shokoは勉強会でお出かけ。いおぴーがプールに行きたいというので今日は高井戸の温水プールに行ってみることにする。昭和記念公園のレインボープールはいろいろなプールがあって楽しいけれど、やはり遠くて疲れる。高井戸なら自転車で行けるので気楽だ。支度をしていると、いおぴーが「浮き輪は要らないからね」と念を押す。先週少し泳げるようになったので、今日は泳ぎの練習に徹するつもりのようだ。

プールの駐輪場で、はらっぱ園のHyちゃんにばったり会った。聞けばHnちゃんと待ち合わせているらしい。思いがけずはらっぱの友達と一緒にプールで遊べていおぴーは非常にラッキー。出掛けにばたばたして家を出るのが30分以上遅れたり、先に図書館に寄るかどうかで迷ったりしたことを考えると、結果的に絶妙のタイミングだった。

ここのプールは先に時間を決めてチケットを買う方式なので、ずるずる長居をしなくて済むところがいい。2時間分買ったが、前後の着替え時間を除くと正味1時間ちょっとなので、疲れない。今回は友達と一緒だったのですんなり上がったが、ひとりだったらもっと泳ぎたいと相当ぐずっただろう。助かった。

泳ぎの練習に徹するつもりが、やはり友達と遊ぶほうが楽しくてあんまり練習にはならなかったみたい。「泳げる!」と胸を張るいおぴーと「泳げない」と言うHnちゃんの泳ぎが同じくらいなのがおかしかった。いおぴー自信過剰というか、過大広告というか。

プールの後は、交通公園に行く予定だったのだが、いおぴーはHnちゃんと別れ難く、交通公園を諦めてHnちゃんと一緒に帰ることを選択。とうちゃんは内心ガッツポーズ。

遅い昼食の後、寝そべって恐竜の絵本を1冊読んであげたら、そのまま眠ってしまった。プールでほどよく疲れたのだろう。3時から7時まで寝てくれたので、とうちゃんはその間に一仕事。

2005年8月15日(月)

Mac mini お預け

昨日いおぴーを寝かせながら一緒に寝てしまったので、朝起きたらPCがついたままになっていて、画面にCPU温度が90度以上という警告が出ていた。水冷装置のモーターが止まってしまったようだ。しかたがないので水冷装置をはずし、インテル純正のCPUクーラーをつけた。静穏PCに慣れきっていたので通常の動作音が異常にうるさく感じる。悲しい。

水冷装置を片付けて、会社に出かけようとしたところ(盆休みだが休日出勤)に、Mac miniが届いた。予想以上の外箱の小ささに驚く。いおぴーが箱くれとうるさい。やらん。とりあえず、起動テストだけしていこうと開梱し、接続。しかし、Mac miniはUSBキーボードしか接続できないのだった。うちにはPS/2キーボードしかないので、テストはあきらめて出かける。

帰りにヨドバシに寄って切替器とキーボードを買ってきた。が、箱を開けようとして間違えてPS/2キーボードを買ってきてしまったのに気づく。USBキーボードの中からよさげなのを選んだはずなのに、最後に色を選ぶ時、違う箱を手にとってしまったようだ。

Mac miniはお預けのまま、メインマシンを立ち上げる。幸い、外の雨と雷がものすごくうるさいのでPCの騒音は気にならない。

2005年8月16日(火)

Mac起動

shokoにキーボードを交換してきてもらい、ようやくMac miniを起動することができた。自宅でMacを使うのはパフォーマ5220以来、約10年ぶり。無線LANもさっくり繋がり、さっそくネットサーフィンなど。デフォルトブラウザはSafariだが、FirefoxとMacIEもダウンロードして見比べてみたりする。今までMacでの見栄えを確認できなかったので、あちこちデザインが崩れているのも放置だったが、これで対応しやすくなる。

2005年8月18日(木)

いかないで

朝、出掛けに、いおぴーに「会社行かないで」とすがられたので、じゃあお昼ご飯までいるということで、午後出社すると会社に連絡。でも、一緒に何かするわけでもなくいおぴーは向こうの部屋で本を読んだり一人遊びしている。どういうことだろう。

2005年8月19日(金)

夏休み

朝、鼻水とくしゃみが止まらず、そのせいか頭も痛いしだるいので会社を休む。いおぴーはとうちゃんが会社へ行かないとわかると大喜び。久しぶりに3人でのんびり家で過ごした。

だらだらと汗をかきつつも、窓から入る風にあたりながら寝そべって本など読んでいると、今日が一番夏休みらしい一日という気がした。

2005年8月20日(土)

ぼんおどり

今年もおばあちゃん家の町内会の盆踊り。出かける前に早めの夕食をとるが、いおぴーは屋台で買い食いすることを想定して「あまりおなか減ってない…」とかいって食べない。

昨年はおじいちゃんとおばあちゃんに500円ずつおこづかいをもらったが、今年はおじいちゃんが千円、おばあちゃんが500円でなんと1,500円ももらっていた。

まずはひととおり屋台を見て回る。今まではヨーヨー釣りやスーパーボールすくいがあるとやらずにはいられなかったいおぴーだが、今日はなぜかそういったものには反応せず、ひもくじやじゃんけんゲームなどに興味を示す。ひもくじ(1回50円)に挑戦。ハーブ入りキャンドルがあたった。これはなかなか当たりだ。昨年は靴下だった。それから、定番の綿菓子(50円)。屋台の中でも一番人気で長い行列ができていた。それからのどが渇いたと言ってりんごジュース(100円)を買った。じゃんけんゲームにも挑戦。お店の人と3回勝負で、勝った数だけおもちゃがもらえるというもの。いおぴーは2勝したが、あまりほしい景品がなかったらしく、なんだかさめていた。なかなか景品を決めないいおぴーにお店の人が「スーパーボール10個でもいいよ」と声をかけたが、いおぴーは適当に2個おもちゃをもらってきた。「スーパーボール10個もらっても、ねぇ」とけだるそうに言っていた。

いよいよ、盆踊り。昨年踊りまくってよほど楽しかったらしく、今年も踊る気満々。かあちゃんとふたりで結構長い時間踊っていた。たっぷり踊った後、お腹がすいたといって屋台に買いに行ったが、食べ物はもうほとんど売り切れていて、いおぴーはしかたなく枝豆(100円)を買った。結局、350円しか使わなかった。

2005年8月21日(日)

バレエ観賞

いおぴーとshokoはバレエ「真夏の夜の夢」を観に行った。そしてホテルにお泊りしてくるらしい。

とうちゃんはサイトのデザインをいじる。shokoのお気に入りの海の写真に戻した。Mac での見た目も確認できるようになったので、不具合が無いよう修正を繰り返す。結果、Mac を無視していた時より倍近く時間がかかるようになってしまった。

2005年8月22日(月)

真夏の夜の夢

両肘の傷が塞がらず、黄色い汁(?)が止まらない。痒くてたまらない。shokoにバッチのレメディで湿布してもらった。右がロック・ローズで左がウィロー。かなり半信半疑だったが、…効いたみたい。

夕食後、いおぴーが昨日バレエで観た「真夏の夜の夢」の映画が観たいというので、イギリスで買って封を開けてなかった「A Midsummer Night's Dream」を観ることにした。英語だし、子供向けではないのでいおぴーに理解できるか疑問だったが、けっこうシチュエーションを把握していて、それなりに面白かったようだ。とうちゃんは眠気に勝てず、途中でリタイア。

しかしPG13なんだが、いおぴーに見せていいのか、かあちゃん。

2005年8月23日(火)

キャンプ

今日から5月の野生児合宿で行った南郷荘に、はらっぱ園有志でキャンプ。とうちゃんも行きたいのは山々だったが、今日明日どうしても仕事を休めない状況なので、泣く泣く断念。

朝とうちゃんに天気予報を確認したいおぴーは、台風が近づいていると聞いて、いきなり行く気をなくしていたが、どうやら日中は持ちそうということで、気を取り直して出かける支度を始めた。25日には上陸の恐れもあるので、二泊の予定だが多分一泊で帰って来ることになるだろう。

予報どおり、夜には雨になったが、いおぴー川遊びは楽しめただろうか。

2005年8月24日(水)

キャンプ2日目

川遊び雨は降りそうで大して降らなかった。いおぴーたちはどうやら昨日も今日も川遊びできたようだ。子供たちはまったくケンカもせず、終始仲良く遊んだという。自然の中にいると自然とそうなるのだろうか。

帰りはクルマのナビが故障しているおかげで、楽しみにしていたつるつる温泉に寄ることもできず、家まで3時間もかかったらしい。

ご苦労様。

とうちゃんの肘はすっかり治ってきた。ロックローズはshokoの間違いで、ワイルドローズだそうだ。変だと思った。ワイルドローズというのもピンと来ないけど。

2005年8月25日(木)

台風

台風が関東に近づいているということで、まともな会社では避難勧告というか、仕事が無い人は早く帰れというお触れが出ているらしい。打ち合わせでよその会社に来ていたのだが、そんなわけで打ち合わせが終わったらもう5時過ぎだったので、渋谷から直帰。家に着く直前に雨が降り出し、いいタイミングで帰れた。いおぴーには「今日は早いねえ!」と喜ばれた。

2005年8月26日(金)

和顔施

仏教では煩悩を払い、悟りを得るための修行のひとつとして布施がある。布施とは財産を人に施すことだが、財力を持たない人でもできる布施がある。それを無財の七施という。

無財の七施のうちのひとつ、和顔施を最近心がけている。和顔施とは、やさしい顔をすること。やってみると、これだけで自分も他人も幸せな気持ちになれるのだからやらない手はない。お奨めである。

とはいえ、とうちゃんの顔は元々が厳しいつくりなので、やさしい顔をしてるつもりでも「怖い」とか「変」とか言われ、少々傷つく。無理やり顔を作ると、変すぎて大笑いされる。いおぴーなどは、和顔施とは面白い顔で笑わせることと思っているらしく「わがんせ!」の掛け声とともに、変な顔で笑わせてくれる。こっちが笑うまで変な顔を次々に繰り出してくる。笑わせたら勝ちと思っていて、完全ににらめっこと勘違いしている。

2005年8月28日(日)

テレパシー?

午後から交通公園へ行くことにした。「だれかに会いそうな気がする」なんて言っているいおぴー。すると、途中の路上でRクンちの車を発見。近くの行列のできているラーメン屋をのぞくと、いました。Rクンもいおぴーの気配を感じたのか、突然ガラス戸越しにこっちを振り向いた。いおぴーを見つけて手を振る。それでパパも気づいて、出てきてくれた。

その後、交通公園でおちあって、Rクンと遊ぶいおぴー。ラッキー。

2005年8月29日(月)

行方不明

「きもだめしっていうことで、ひとりで三角まで行っていい?」といおぴー。かあちゃんはあっさり「いいよ」と答える。いおぴーは見るからにドキドキしながら、支度をしてひとりで家を出た。かあちゃんに「こっそりついてってよ」と言われ、どうせ不安になってすぐ戻ってくるだろうと思いながら、2分ほど遅れて家を出る。

自転車に乗って、いおぴーが行ったであろう方へそろそろと行ってみると、向こうからこっちへ向かって引き返してくるいおぴーが見えた。案の定、不安になって行くのをやめたのだろうと思い、とうちゃんはいおぴーに見つからないように大急ぎで家に戻った。

いおぴーが家に戻ってくるものと思ってしばらく待ったが、戻る気配がないので、あわてて自転車に乗って様子を見に行く。近くには見当たらないので、三角までのルートを途中まで走るが、いない。別の道を行ったのかと、いくつかある三角へのルートを走り回ったがいおぴーの姿は見えない。入れ違いで家に戻っているかもしれないと、戻ってみるが、いおぴーは帰ってきていなかった。

青くなって、一人で行かせるなんて馬鹿なことするんじゃなかったと後悔しながら、とりあえずもう一度三角まで自転車を走らせる。三角広場に着いてみると、そこに集っている母子グループに木登りを披露しているいおぴーがいた。ほっと胸をなでおろす。木の上からとうちゃんを発見したいおぴーは、木から飛び降りて駆け寄ってきた。

後で、なぜ引き返して別ルートで行ったのかといおぴーに訊いたら、はじめは近道しようと思ったけど、やっぱりいつも挨拶している守衛さんに挨拶して行こうと考えなおしたらしい。守衛さんに一人で歩いてる姿を見せたかったのだろう。「どうして戻ってきたって知ってるの?」と逆に訊かれ、とうちゃんしどろもどろになりながら、「パン屋さんが教えてくれたんだよ。いおちゃんが戻っていきましたよって」と適当にごまかした。

2005年8月30日(火)

冷し中華

いおぴーが冷し中華をつくると張り切っている。かあちゃんとつくる約束になっていたらしいが、かあちゃんが寝込んでしまったので、とうちゃんと一緒に作ることにした。

まずは鍋に湯を沸かす。ガスコンロの火をつけるのがいおぴーの役目。次に上にのせる具を刻む。きゅうりとおくら。きゅうりは1本を半分ずつにして、それぞれ自分で刻む。とうちゃんは細切りだが、いおぴーは細いのは難しいと言って5等分くらいにぶつ切りにした。おくらはこれは食べやすい大きさに切って、蒸す。具がこれだけでは寂しいので玉子焼きを作ることにした。いおぴーの仕事は割ってかき混ぜて塩を振る。焼くのはとうちゃん。薄く焼いた玉子を、これもそれぞれ自分の分を切る。いおぴーは割と上手に細く切っていた。麺をほぐして茹でる。その間にいおぴーはテーブルセッティング。言われなくてもてきぱきと準備している。ざるにあけて冷した麺と具を盛り付ける。いおぴーはぶつ切りのキュウリを丸太のように積み上げていた。とうちゃんの細切りきゅうりも少しのせてあげた。

かあちゃんは要らないというので、ふたりで食べた。いおぴーは「美味しい!」と満足げ。ぶつ切りのきゅうりも「これがコリッとしておいしいのよねー」と、本当に満足しているのか負け惜しみなのかわからないが残さず平らげた。



©1999-2009 shoko & imasa , io-p.net