平成11年11月11日生まれ(10歳になりました!)の我が娘を語る親ばかサイトです。

子育てを通して父と母が思ったことや学んだことなどをちょっとずつ紹介していきます。

2010年6月アーカイブ

2010年6月 1日(火)

パーティ

Mさんの誕生日パーティ。家に帰るともう終わりに近く、皆でケーキを食べていたのだが、なんと6畳の和室に大人子供合わせて16人!しかもそこでヴァイオリンとチェロの三重奏。絶対無理と思ったが、意外と入るものだ。

2010年6月 4日(金)

面談

担任との面談。勉強は意欲的にやっているし、いつも楽しく過ごしているとのことで、特に心配することは無さそう。うちからは、しいて言えば文字を丁寧に書かないことが気になると伝えた。たしかに急いで書こうとすると乱雑になることがあるので、これからは時間がかかっても良いから丁寧に字を書くように指導していきましょうということになった。

2010年6月 5日(土)

神宮

週末のデイゲームということで、神宮球場へ。

選手の入り待ちで今日はグローブに館山投手のサインをゲット!そして、フジテレビに取材されていた。テレビに出るかな。

試合は負けたけど、なかなか面白いゲームだった。

写真はこちら

2010年6月 6日(日)

点字

昨日は野球観戦のあと、おばあちゃんちへ泊まった。午前中、中野をぶらぶらしていたら、福祉関係のおまつりをやっていて、いおが見ていきたいというので寄る。さまざまな体験ができるようになっていて、いおは車椅子体験と点字をつくるのが特に興味深かったようだ。帰りに「点字うつセット買って」とずっと言っていた。点字は覚えるといいかもしれない。その後、電車での移動では、壁や階段の手摺など、あちこちで点字を見つけては読もうと努力していた。

午後は、K先生の家が新築披露ということで、行ってきた。シュタイナー建築で内装された素敵な家だった。

2010年6月11日(金)

子連れミーティング

高円寺で打ち合わせ。その後、横浜のKさん宅で学園の広報ミーティングの予定。今日はshokoが不在なので、いおも連れていくことになっていたが、時間節約のため、いおはEさんに車で迎えに行ってもらい、東京から直行することになった。が、タイミング悪く連絡があったのが新宿から小田急線に乗る直前だったため、えらい遠回りするはめに。

いおは一足先に着いていて夕食をごちそうになっている。お泊り大好きなので嬉しそう。しかし男子クラスメイトの家に違和感なく泊まれるのっていつまでだろう。

2010年6月12日(土)

オープンデイ前日

オープンデイ前に学園サイトをリニューアルしようと、前日は徹夜。なんとか公開に漕ぎつけた。朝5時に家まで車で送ってもらった。いおは午後連れてきてもらうことになっている。

午後からは学園で明日の準備なのだが、もうヘロヘロで役立たず状態。夕方、まだ全部終わらないうちに一足先に帰らせてもらう。

2010年6月13日(日)

オープンデイ

学園のオープンデイ。雨が心配されたが、最後まで降られずに終えることができた。引き続き夜までミーティング。その後、打ち上げに合流。いおはおばあちゃんちなので、深夜まで。なんか放心状態。

2010年6月15日(火)

救急車

朝寝ていたらお腹が痛くなってきた。なんの痛みかなと思いつつ、寝たまましばらく様子を見ていたが、痛みはどんどんひどくなり耐え難くなってきた。油汗が出てのた打ち回るレベル。痛むのが右下腹部なので、もしかして虫垂炎かも、そういえばオヤジが盲腸で入院したのはいつだっけ、あれはたしか札幌オリンピックが見られなくなって口惜しがっていたのだから昭和47年の2月だ、するとオヤジはあの時まだ37歳だったのか、若いな、などどあれこれ考えて痛みから気を逸らそうとしたがそれも限界を迎え、藁にもすがる思いで出かけているshokoの携帯に電話した。痛みを訴えると、マグフォスをお湯に入れて云々と悠長に説明を始めるので、痛くて動けないからとりあえず帰ってきてほしいと伝えたところ、「無理。救急車呼べば」と言って電話を切られた。鬼。

我慢して治まる痛みならいいが、未体験の激痛だけに不安はつのり、背に腹は変えられないので119番に電話した。状況を説明し、救急車が来ることになったので、着替くらいはしておかねばと、無理して起き上がり着替える。すると、気のせいか救急車が来ることになって安心したせいか、痛みが多少ひいた気がする。このまま痛みがなくなって何でもなかったらどうしようと逆に不安になったが、また波のように痛みが襲ってきてひと安心。このまま何とか病院までは痛みが続いてくれと、救急車を呼んだ後ろめたさから訳の分からない心理状態に陥っていた。

救急車が到着し、救急隊員が玄関で声をかけて入ってきた。「歩けますか」と問われたので、「なんとか歩けます」と答え、起きて玄関へ向かおうとすると、隊員は「歩けるってー」と外で待機するもう一人の隊員に向かって声を掛ける。この声が如何にも「歩けるくらいなら救急車呼ぶなよ」と言っているようでますます後ろめたさでドンヨリする。自力で這うように救急車に乗り込み、横たわる。なんかいろいろ質問されるが、「朝から便は出たか」とか明らかに便秘を疑うような質問にゲンナリ。その間にも通信している様子が耳に入るのだが、最初に問い合わせた救急病院には断られ、救急車はなかなか発進しない。そして、今度は戸締まりはしなくていいのかとしつこく訊いて来る。家の者がすぐ帰るからと答えると、近くにいるなら電話して来てもらえというので、しぶしぶまたshokoに電話する。shokoはこのまま仕事に行くので帰れないというので、隊員の人にそう伝えると、じゃあやっぱり戸締りしろという。大きなお世話なんだが、戸締りしない限り発進しなさそうな勢いなので、今締めてしまうと子供が帰ったときは入れなくなる、家のことは家人から近所の人にお願いすることになったと散々言い訳してようやく納得してもらい、その間に行き先も決まったようで、救急車は発進した。近所の人が野次馬となって見守っているところを想像するとまた気が滅入る。

病院に着くと、しばらく救急用ベッドに放置。もっと重篤な救急患者がいると思えばやむを得ない。痛みは相変わらずだが、ここまで来たらもうどうにでもなれという気分で、心を無にして待つ。すると、カーテンの向こうから、担当医が研修生に問診の心得を説く話し声が聞こえてくる。おいおい練習台かよ。事前準備を終えたらしくカーテンが開き、頼り無げな青年がたどたどしく話しかけてくる。幼児に話しかけるような口調に苦笑をこらえつつ、質問に答える。研修生は、時々後ろから担当医に突っ込まれたり叱られたりしつつ、なんとか問診を終えた。そして血液検査のため血を採る際には、なにやら失敗をやらかしたらしく(眼を閉じて横になっていたので何が起きたのかわからなかった)、「ナニやってんの?アンタ!」というベテラン看護婦の怒声。スイマセンと謝る研修生。あとで見たらシーツが血まみれになっていた。。。またカーテンが閉じられ、すぐ向こう側から話し声が聞こえてくる。患者に聞こえようが聞こえまいがどうでもいい感じだ。どうやら問診の結果は虫垂炎と結石が五分五分で、後は検査結果次第らしい。検査で結石とわかれば、「泌尿器科へ丸投げでいいよ」との担当医のお言葉。

またしばらく放置された後、車椅子に乗せられ、検査に向かう。CTを撮った後、またしばらく放置。相変わらず痛みは続いているが、もう大分慣れたのと、どうやら結石らしいから、これはひたすら我慢する以外にないと腹をくくり、眠りに逃げる。

起こされて先程の担当医から説明を受け、泌尿器科へ「丸投げ」される。診察の前に採血室で待たされたが、その間に痛み止めの座薬をもらった。泌尿器科の診察はほんの5分。CTの写真を見せられ、尿路結石だが、小さいし出口に近いから2週間以内に自然に出るだろうとのこと。痛み止めを処方されて終了。痛み止めが効くまで採血室のベッドでしばらく休んでいっていいと言われたので、お言葉に甘えて小一時間休む。

痛み止めが効いたか、痛みが治まったのでそろそろ帰ろうと看護婦さんに声をかけると、カードを渡された。これで精算してくださいとのこと。今時の病院は精算時に待たされることなく機械で自動精算してさっさと帰れると知って妙に感心した。検査代がバカ高く、全部で2万円近くかかった。痛み止めはどうせ使わないから処方箋は捨てた。どうやって帰ろうかと少し迷ったが、所在なく家まで歩いて帰った。いおに救急車に乗ったと自慢しよう。



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