フラワーエッセンス合宿8日目・絵を描くこと

2005年08月08日

椅子を丸く並べて各自が座り、順番に自分の絵を見せることになりました。ただ絵を見てもらう人もいれば、今の自分のこのカードの関係性を語る人もあり、メッセージを語る人もあり、個性に富んだ発表会でした。同じタロットカードから啓示を受けて描いたものであっても、まったく違う絵になっているそのオリジナリティの豊かさに驚嘆しました。中にはいわゆる「お絵かきトラウマ」を持つ人もいて、描くこと自体が非常にチャレンジであった方もいるようです。

何を隠そうこの私もお絵かきトラウマを持っています。自分にとって食事をするくらい身近だった絵を描くことが、まず最初に友人に誘われて美術大学入試を決めたときからお勉強になってしまったこと。自分の絵が初めて「(入試的ポイントとして)上手くない」と判断されたことがあると思います。その次は、imasaと住んで、自分の絵をバカにされたこと。きっとimasaはからかっているだけなのかもしれませんが、この家族の中での私の絵の評価はずっと変わらず、そしてその評価を気にする私がいて、それ以来、私は絵を描いていませんでした。

だからこのトレーニングの持ち物表に画材が入っていることで、心は重かったし、その絵が植物観察をして書くものではなくて、自分のタロットを1枚選んで自分の内的世界を描くことと聞いて、絵を書き出すまでに時間がかかりました。一人でいられたから描き始めることが出来たと思います。講義の時間外に教室に集まって皆で楽しく書いていた方たちもいらしたようですが、私自身は絵を描くときには一人でいる必要がありました。imasaと暮らすまでは、人前で絵を描くことに抵抗はありませんでした。

自分の内的表現を自由に絵で表現することは、やはり無理で、カードを見ながら模写することが精一杯でした。絵を描きながら、思うように「上手に」かけない自分が悲しかったりしましたし、あらかた完成した絵を見て適当に「上手に」まとめている自分の絵が悲しかったりしました。求められているのは上手な絵ではなくて、その絵が本当に自分の内的な色や形であるか?ということです。色に関しては、思い切って60色の色鉛筆を購入したことで比較的、自分の内的なものが表現されていたように思います。

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持ち物表に「色鉛筆・出来るだけ色数は多いほうが良い」と書かれていて、ユザワヤに色鉛筆を買いに行ったら、24色でも3000円以上するのに、ちょうど今日までのバーゲン価格で、ファイバーカステル社の水彩色鉛筆が60色3600円くらいで売られていたのです。渡りに船で思い切ってそれを購入しましたが、それは本当に良かったと思います。あれこれ考えなくても自分の色により近いものを見出すことが出来て、だから実際の絵も自分の色から遠くはなることがありません。

カードを真似して描いていましたが、まったく同じにかけるわけじゃないし、カードの意味や表意を思って描いていたせいか、実際は「ぜんぜん似てないじゃん!」という絵になりました。思いのほか色が鮮やかだったことが自分の驚きでした。「私の内的世界は、こんなに鮮やかなんだなー」と驚きましたね。

まったく下書き無しでいきなり色鉛筆で書き始めたので(なぜか鉛筆で下書きすると言う発想がまったく浮かびませんでした。)色を塗っているうちに形がどんどん変わってしまったところもあります。例えば背負っている荷物はもっと小さいはずなのに、どんどん大きくなってしまいました。強欲さ?そして犬は白いはずなのに、なぜか紫色に。

私の絵を皆が見たときに、とても歓迎・受容を感じて、それに対して戸惑いや喜びを感じる私がいました。私にも「お絵かきトラウマ」があって、描き始めるまでに時間がかかったこと、自由に表現することは無理であったこと、自分がある調和した世界からもうすでに新たな旅に出ていて、私の準備はぜんぜん出来ていないけれど、暴挙とも取れる旅に出てしまっている自分を自覚していること、などをお話しました。そしてカードをまねして書いたつもりだったけれど、カードで一番表現されていた、生き生きとした躍動感や、純粋無垢な感じが自分の絵には表現できないことを書いているときに発見したことなどを話しました。なんだか緊張してしまって、皆がどんな反応をしてくれたかは、ぜんぜん覚えていません。荷物が大きくなってしまったことを話したら「荷物の中味は何でしょうね?」と問う方があり、頭の中では「錬金術の道具?」と思いましたが「家族」と答えていました。

たまたま次の方も同じカードを選ばれていたのですが、その表現の力強さ、自分自身の表現、テーマになっているところが素晴らしかったです。おおむね、どの絵も非常にその方自身を表現していて、絵の中の人物は本当に作者そっくりなのが興味深かったです。顔や体の動きなどが、もう笑えるくらいそっくりなのです。私の絵にはそれは見出せません。もちろん絵は、私が表現する何かではありますが、自分自身が素直に表現されている感じを、自分では見出せませんでした。

一通り全員の絵を見た後に、河原に出て最後のお祈りを行いました。素晴らしい、厳しい8日間でした。皆が順番に自分の祈りをささげている間、ここに辿り着けて本当に良かったと、しみじみと思いました。長く参加している方たちを見て、その素晴らしさを思わないこともありませんが、10年前には無理だったけれど、今やっと巡り会えることが出来た自分の成長に喜びを感じています。このトレーニングに参加したことも私にとっては「the fool」であるのです。imasaは、この旅を喜んではくれないだろうけど、でももう歩みだしています。

東京に戻り、いおぴーを迎えに行くと描いた絵をプレゼントしてくれたので、私の描いた絵をいおぴーにプレゼントしました。見本のカードよりもずっと好いと言ってくれたので嬉しかったです。

今、こうして書きながら、私はもともと哲学か心理学を学びたいと思っていて、そこで(今で言う)アートセラピーを学びたいと思っていたのでした。そのようなジャンルがきちんとあるかどうかもわからなかったし、そのことを相談する相手もいなかったし、図書館でも関連本を見出すことが出来なくて、美術大学に誘ってもらったときにアートの側からそのようなことも勉強できるかな?と思って美大受験を決めたのでした。浅はかな私です。結局、映像の魅力に目覚めて映画を専攻することになったことで、ますますアートセラピーの道からは遠のきました。いおぴーを通して、人智学的な水彩に出会うことでやっと当時望んでいたものにたどり着きましたが、今の私は水彩画を学ばずにフラワーレメディやホメオパシーを生きています。シュタイナーのコミュニティで水彩を学びながら生きていくほうが良いのかな?

それにしてもこうやって細かな日記を書き続けられたこと、それを最後まで出来た自分を評価したいと思います。愚劣なほどに垂れ流していますが、トレーニング中の昼休みの使い方として植物観察・日記・昼寝が推奨されて、その必要性の説明を受けたことで、それもあり?と思えたのです。そうじゃなかったら語ることは何もなかったですね。私が講義の本質ではなくて、詰まらんことばっかり勝手に受け取っている気がしているので。

このトレーニングでは、宿題をたくさん受け取った気がするので、今後どのようにしてそれを消化していかれるのか、しばらく考えたいと思います。とりあえず4大元素について、もう一度調べたり、考察したいと思います。自分の中のMappa  Mundiが混乱しているので。

Posted by shoko at 2005年08月08日 23:01

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コメント

ゆうこ  2005年08月10日 11:34

こんにちは☆プロジェクトで、お世話になってます、ゆうこです。
すごく有意義な合宿だったようですね。shokoさんの日記を読みながら、私もワクワクしてしまいました。森羅万象にどっぷりつかることの抵抗感。分かるような気が…。でも惹かれてしまって、無視することができなくなっているということは、機は熟しているのかもですね。揺れ動くshoko さんの心にエールを送ります(^_^)

イオちゃん、えらかったですね。いじらしいイオちゃんを抱きしめたいです(笑)

久美ちゃん  2005年08月11日 00:00

本当に、素晴しいトレーニングだったのですね。
そして、すごい力強さを感じました。
力のある場だったのだなぁとつくずく
鳥肌が立つような思いでshokoさんの日記を
読ませていただきました。
これだけの体験ですから 消化して実になるまで、
時間がかかることでしょう。
でも、実になった時のshokoさん、今から
待ち遠しいです。
っていうか少し怖くさえあるかも、です。

shoko  2005年08月11日 19:24

ゆうこさま<
エールをありがとうございます。幼少時から思うと何週目の螺旋なんだろうかと思いますが、改めて今年の初めから錬金術と言う言葉がテーマになっております。非常に抜き差しならない感じです。今更?とおっしゃる方もいらっしゃると思いますが、螺旋ですからねえ。

久美ちゃん<
ははは。私のブログから鳥肌が立つような物を読み取る感受性の久美ちゃんの深さこそがす場らしく力強いことではないでしょうか。

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