娘との日々

2005年06月23日

今週はずっと、いおぴーと一緒。もうべったり一緒です。小姑のようないおを相手に非常に緊張した日々を強いられている私です。

でも「おかあは、可愛いねえ。愛してる。抱っこしよう。」と一日中、言ってくれる人は、いおしかいないので、大事にしないとね。この時間をね。というのはわかっているんですが、あんまりベタベタされたら嫌気がさしますよ。

あと10年したら、絶対にこの時間の貴重さを想って泣けたりするんでしょうけど。子供の人生20年分くらいでこの時期の強烈な愛情を薄められないモンですかね。と、こんなこと言っていること自体、魂と肉体が乖離している状態です。動物としてのかーちゃんは、子供と同じかそれ以上の濃厚な愛情で、がつっと10年くらい共に過ごし、あとは(文字通り)燃え尽きちゃうとかいうのが良いですね。あ、良くないですか。

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Posted by shoko at 2005年06月23日 17:50

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コメント

久美ちゃん  2005年06月23日 20:38

どうして いおちゃんといると緊張しちゃうのでしょうか。
いい母、いい大人、いいお手本でなければならないからでしょうかねぇ。shokoさんが引くのでいおちゃんが押してくるんだよね。
ご自分でもわかっていらっしゃるみたいですが、本当にそんなこと言ってくれる、っていうか言ってくるのはあと少しです。過ぎ去ってから、どんなに至福の只中にいたのかわかるんだなぁ。私は美乃里に良くこんなばか親でごめんね、でもみーちゃんのこと世界で一番好きだよっていうの。ホントのことだから。
ばか親だけど人間として間違ったことはしたくないんだって。そういうふうなので、一緒にいても楽々~。
っていうか誰といても緊張しなくなってしまった。
いいのかしら?

shoko  2005年06月24日 05:06

今のいおぴーは模倣の時代なので、そばにいる大人が善き見本とならねばならないのは確かです。が、私の緊張は全然そんなところには無く、私独自の集中と拡散のリズムを保てないというところに大きな要因があると思われます。

安心して拡散していられないので、結果的にずっとonになっているという状態です。もしくは安心して集中していられないので、結果的に拡散せざるを得ないとか。

きっと本来、ちゃんとした大人には、「このような集中と拡散」は無い、もしくは必要ないのだと思います。以前、ホメオパスに言われた「最高と最低を観る」という言葉は、これに通ずるものじゃないかと思いますが、そこに私の凸凹があるわけですね。きっと。

lychee  2005年06月25日 02:29

引く私にいつまでも押してくる12才の娘。
一生小さな欠落感と諦めを抱えていくのだろうかと
胸が痛んだりもします。
2才児のほうは激しい分、そして私が比較的可愛がってるぶん、
ある日すぱっと切り捨てられそうな気はします。
集中と拡散は、私にも必要で、よくわかる気がします

shoko  2005年06月29日 04:42

lycheeさま<
それが第一子の宿命なんでしょうかね。それに答えられるだけの愛を自らのうちに見出すことが出来ぬ不幸なのでしょうか。愛情は愛情で持ってしか満たされませんからね。

そんな私たちに必要な、自分勝手な集中と拡散。なんとかならんものでしょうか。

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