復活

2005年06月08日

いやー、実にしばらくぶりです。ふと気がつくと最後に日記を書いてから、もう1ヶ月以上もたっているじゃあないですか。
過ぎ去った日々を埋めることは諦めました。あんなことも、こんなこともあったんですけど。

ぼちぼち個人的なコンサルテーションを始めとります。人の物語を受け取ることの難しさに打ちひしがれるこの頃です。

素直に「なぜ?」と聞くスタンスは良いですよね。なぜって私はあなたの事を知らないから。常に相手に対して無知な自分でいるというのはサンカランも書籍で語っています。と、同時にその人の中心を見出そうと頭の中で煙が出そうなくらい繊細さが働かせようとしている自分がおります。どのように共に旅をしたらよいのかと。

§

ぜんぜん勉強していない私ですが(苦笑)、この数年でそれなりに成長を見ている気がします。それは、話を聞いているときに、必ずその人の中に治癒の姿を見るからです。この感覚は、かつての私には無かったですね。
とても不思議な、とても幸せな感覚です。
そして話を聞きながら、もちろん私の中にも様々な感情や印象が浮かんでくるわけですが、それが走馬灯のように距離を置いて巡っていくものなのです。
私の感情でありながら、私を支配することが無い。

ん~。もしかしたら、私は人の話を聞くのがすきなのかもしれません。
ただねー。レメディを見出す作業は、センスのよさが必要だと思うのですよ。
非常にアーティスティックなひらめきのようなものです。

今、自分の人生が非常に贅沢な感じがしました。こんな風に芸術的な世界の中にうずもれていられる自分が。
たぶん映画を撮ること以上に望んでいた繊細な世界じゃないかと思います。

もう1年以上も週末のほとんど全てをホメオパシーやフラワーレメディの勉強に費やしている私ですが、ケースを提出するために個人的なコンサルテーションを始めることになって、平日も毎月の茶話会やミニセッション以外にホメオパシーやフラワーレメディな日々になりつつあります。
この日常のどこかにマッサージも潜り込ませたいものです。

でもねー。そうやって芝居の世界からどんどん遠ざかっていく自分が、ちょっと寂しい気持ちも払拭できないですね。
もともと自分のことを芝居畑の人間とは感じられていなかったし、たぶん一緒に仕事をしていた人たちも、そう感じていたでしょうけど。
でも愛しているんですよねー。
話を聞く人、としてまたその世界との関わりを持てたら幸せだと思います。

Posted by shoko at 2005年06月08日 23:41

コメント

Kozy  2005年06月12日 20:52

何か、とっても素敵な宝物がみえてきたみたいですね~(#^_^#)。

素敵な大樹の芽、贅沢に大切に育っていくのを見守りたいですね(^o^)/

shoko  2005年06月13日 00:21

kozyさま<
やーん。書き込みをありがとうございます。あまりに放置プレイが長くて、死に体だったこのブログですが、細々と復活しました。

imasaと私が読めばいいやと思っていますが、でもコメントをもらうのって、すんごい嬉しいですね。ありがとうございます。
kozyさまも光と発見の日々を送っていらっしゃるようで、頼もしい限りです。
でも体は気をつけてね。

コメントしてください




保存しますか?