シミリマム

2005年02月10日

ホメオパシーは「似たものが、似たものを癒す」という大原則に基づいて体系立てられている癒しの技です。

「似たものが似たものを癒す」という状況は、かならずしもホメオパシーの世界だけのことではありません。

その考え方自体は、ヒポクラテスも書き残しているし、多くの伝統医療や民間療法の中にも見出すことができます。

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たとえばある種の心理療法は、似た状況を仮に作り出すことで、その人の似た状況(たとえばトラウマと呼ばれるようなもの)を癒すということをしているし、同じような経験や苦しみを抱いている人たちが集ってお互いを癒しあう会があることも、同様の法則を期待するものでしょう。良き友人のアドバイスなんかもその効果を発揮することがあるでしょう。迎え酒なんかはどうでしょうか?これは類似じゃなくて同種の療法か。トートパシーと呼ばれるものですね。

ホメオパスがする作業は、その人に一番似ているもの(レメディ)を探すことです。ホメオパシー用語ではシミリマムと呼ばれています。similimum。その人に最も近しいレメディであるので、その人がどんな病気や怪我、状況に陥っても、それがその人のシミリマムレメディである限り、最も効果的に治癒へ作用するレメディとなります。

たとえばその人のシミリマムレメディがCalc-c30Cだった場合は、風邪を引いても、怪我をしても、ペットが死んで寝込んでも、新しい仕事になじめなくて出社拒否症になっても、Calc-c30Cで治癒するのです。日本語では根本体質レメディなどと呼ばれていて、とにかくそのレメディさえ見つかれば、なにがあってもそれでOKですから、皆知りたいわけです。ホメオパスに会いに行って、根本体質レメディを教えてもらおうと思うわけです。ただし、そこに「ホメオパシーの唯一の欠点は、難しいこと」と言われているゆえんがあります。

まずその人に最も近いレメディを見つけるためには、その人がどのような人なのかを正確に知る必要があります。

生命は、彫刻のようにそこに固まっているものではありません。一見、固体のように見える私たちは、一瞬ごとにダイナミックに揺れ動き、一時たりとも同じことがありません。そんな風にダイナミックな私たちを、同じようにダイナミックに揺れ動いている生命であるホメオパスが見極める作業です。その人が生きてきた歴史や、その人が生きている環境を含めて、どのような命なのか?を正確に見極める作業は、神ではない凡夫である私たちにとって、どんなに難しいことかすぐにお分かりだと思います。

そして仮にその人がどのような人か見極められたとして、次にその人に一番似ているレメディ探しが始まります。

現在、作られているレメディはおよそ3700位です。レメディは今も次々にプルービングされていますし、ホメオパシーファーマシーはノンプルービングのレメディも販売しています。例えばある種の化学合成薬やワクチンなどから作ったレメディがトートパシー的に使われています。プルービングはされていないので、ホメオパシーのレメディとしてのMM(マテリアメディカ)はありません。

その3000以上あるレメディの中からシミリマムレメディを選べたとして、次にはどのポーテンシーであるのかを知る必要があります。同じレメディであってもポーテンシーが違うとまるで違うレメディのようだと、ホメオパシーの世界では一般的に言われています。

その人のシミリマムがその3000種の中にあれば、まだラッキーです。この世にはレメディになっていない物の方が多いのです。月の光やX線のレメディもすでにあるくらいですから、この宇宙のすべてがレメディ足りえます。その人のシミリマムレメディは、まだレメディになっていない可能性もあります。すでにレメディになっているものであっても、そのarnicaから作ったんじゃなくて、隣のarnicaから作られる必要があったかもしれません。その無限さは、考えればきりが無いくらいです。

そういうわけで私はシミリマムレメディという言葉にある種の絶望感を感じていました。

けれど、希望もあります。レメディがたった3000種しかなくても、ホメオパシー療法は200年以上その効果を認められて生き残っているうえに、現代にまた期待を持って注目されているのです。天才的なホメオパスでなくても、世界中の多くのホメオパスがクライアントの多くを治癒に導いているのです。その事実が非常に大きな希望です。

たったひとつのシミリマムレメディが見つからなくても、その人は癒される。

そんな風にこの間まで思っていましたが、今年に入って、ふと思ったわけです。

シミリマムはシミリマムであって、唯一ではないのだと。
ある点の周りには、無限の点を打つことができます。

そしてダイナミックな存在である私たちには、無限のシミリマムが存在するのです。求められているのはよりその人に近づいていくことで、その人そのものではありません。その人と同じでは、その人に変革をもたらすことはできないのですから。だからこそ最も似ていて、でも同じでないものが求められているのです。より似ていて、同じではない範囲に存在するものは、たった一つであるはずがありません。

ホメオパシーを学び始めた4年前に、選ばれるレメディに正解は無いのだということを習っています。シミリマムはシミリマムであって同一ではないのだと言うことも習っています。だから今更こんな、すんごく初歩的な発言をしている自分を、自分でも呆れてしまいます。

でも私にとっては、なんだか、すごく「そうか!」と新しい扉が開いたようなことなんですよ。自分だけで喜んでるけど。

今ふと思いついた例ですが、例えばマドンナのそっくりさん大会があって1000人のそっくりさんが集まったとします。皆とても似ています。本当にそっくりです。ある人は歌う姿がそっくり、ある人は立ち振る舞いがそっくりと様々に特徴があることでしょう。審査員の中でも意見が分かれます。ある審査員にとってはAさんが、ある審査員にとってはBさんが一番マドンナに似ているように思える。だいたい、マドンナがどんな人物であるかと言う認識が審査員の中で違っているでしょう。ある審査員にとってのマドンナは性的な魅力に溢れたアイドルかもしれないし、ある審査員にとっては、芸術的なセンスに溢れキャリアを磨きぬいたワーキングマザーかもしれない。で、審査の結果、誰かが優勝するわけですが、その誰かを決めるまでに審査員たちは喧々諤々の話し合いをすることでしょう。審査に残る最後の10人くらいなんかは、誰が優勝しても納得と言うレベルかもしれません。

シミリマムのレメディってそんな感じで見出されるんじゃないかと思うわけです。

もう無限に「まるでその人みたいなレメディ」はあって、だからこそたった3000くらいしかレメディ化されていなくても、その中に充分シミリマムは存在するでしょう。本当に才能のあるホメオパスであれば30種のレメディだけでも、凡人ホメオパスが3000種から選ぶシミリマムよりも近いレメディを見出したりするんじゃないかと思います。

以前、スイスの山奥の村々を巡回している老医師ホメオパスの話を聞いたことがあります。巡回ホメオパスですから数多くのレメディを持ち歩くことはできません。途中でレメディの補充もできませんから、かれは10数種のレメディだけで治癒に導いていたそうです。

ホメオパシーってなんとアートに溢れた療法なのでしょう。

Posted by shoko at 2005年02月10日 21:27

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コメント

ゆうこ  2005年02月12日 03:36

こんばんは☆
いつもお世話になっています、ゆうこです。
ブログの立ち上げ、おめでとうございます!

>たったひとつのシミリマムレメディが見つからなくても、
>その人は癒される。
>シミリマムはシミリマムであって、唯一ではないのだと。

私もシミリマムは、たった一つしか存在しないということが
絶対なのかなと思っていました。
だからずっとNAT-Mにこだわっていたりしてたのです。
でも、ダイナミックに揺れ動いている私達の心の、
その瞬間に存在するレメディが、
たった一つしかないシミリマムであって
ダイナミックに揺れ動いている心の状態の
瞬間の数だけシミリマムが存在するのかな、
と、この前の通読会で思いました。

>ある点の周りには、無限の点を打つことができます。

ホントそうですね。
しょうこさんは喩えがすごく旨いです!
しょうこさんの「たとえば・・・」の話で、「なるほど~」
と合点することがたくさんあります。

>今更こんな、すんごく初歩的な発言をしている自分を、自分でも呆れてしまいます。

そんなことありませんよ!
その繰り返しなんだと思います。
それを繰り返すことで、自分自身やお互いの認識を
すり合せて行く事がすごく大事なんだと思います。

>でも私にとっては、なんだか、すごく「そうか!」と新しい扉が開いたようなことなんですよ。自分だけで喜んでるけど。

私も毎回勉強会に参加するたびに「そうか!」と心の中で叫んでます(笑)。

のりん  2005年02月13日 11:58

shokoさん、お久しぶりです。

私も自分のシミリマムを知りたいなぁと漠然と思っているのですが、なかなか…。

>その人のシミリマムがその3000種の中にあれば、まだラッキーです。この世にはレメディになっていない物の方が多いのです。月の光やX線のレメディもすでにあるくらいですから、この宇宙のすべてがレメディ足りえます。その人のシミリマムレメディは、まだレメディになっていない可能性もあります。すでにレメディになっているものであっても、そのarnicaから作ったんじゃなくて、隣のarnicaから作られる必要があったかもしれません。その無限さは、考えればきりが無いくらいです。

きちんとホメオパシーの事を理解していない私が、言うのもなんですが、この世には、まだ人類が発見していない物も多々あると思います。

逆に、レメディになっている物が全てでない訳ですから、それに個を当てはめると言うのも無理があるような気がします。

奈奈実、幸一郎、美央音 3人の子ども達は、同じ親から生まれたけれど、性格も、体質も、考え方も三人三様ですし…。

>もう無限に「まるでその人みたいなレメディ」はあって、だからこそたった3000くらいしかレメディ化されていなくても、その中に充分シミリマムは存在するでしょう。本当に才能のあるホメオパスであれば30種のレメディだけでも、凡人ホメオパスが3000種から選ぶシミリマムよりも近いレメディを見出したりするんじゃないかと思います。

でも、才能あるホメオパスはきちんと見いだせるんですよね。
ホメオパスって、自分の本質を見抜いてくれる人なのかな?
だとしたら、セッションを受けて、癒されたいなぁって思います。
なんだろ、自分をさらけ出すのがイヤな時もありますが、(子どもの時は、馬鹿正直に自分の気持ちを相手にぶつけていましたが…)話をしてみたいって気がすごくしますね。

こういう時が、セッションの受け時なんでしょうか?

shoko  2005年02月14日 20:50

おお~、コメントをありがとうございます。嬉しいなあ。
詳しいレスは、またあらためて書かせて下さい。
まずは喜びレスのみで失礼。

shoko  2005年02月18日 10:18

ゆうこさん<
>その瞬間に存在するレメディが、たった一つしかないシミリマムであって
>ダイナミックに揺れ動いている心の状態の瞬間の数だけシミリマムが存在するのかな、

そのような解釈もありますね。私は、日記にも書いたように、そのたった一つのシミリマムは、現存するレメディの中での一番近しいレメディという選択に過ぎないか、この万物の世界の中での私に一番近しいレメディということとして今は認識しています。
あらゆる生命は、全てダイナミックに揺れ動いています。レメディももちろん例外ではありません。そこになんか感動を覚えますよね。

先日、学校の面接でこの発見の話をしたんですが、ちょっと引かれたかも。永松先生に、どのような意味於て、シミリマムということですか?と確認されました。あまりに今更な話で、驚かれたのかも。とほほ。

のりんさん<
>逆に、レメディになっている物が全てでない訳ですから、それに個を当てはめると言うのも無理があるような気がします。

日記にもマドンナのそっくりさんの例を挙げて書きましたが(良い比喩であるかどうかはともかくとして)、今あるレメディでも相当できることはあるんですよ。今ある中で、その人にもっとも近しい像を持つレメディを選択する作業なわけですから。

ひとつの点の周りには無数の点を打つことが出来ます。その無数の点の中に、現存するレメディが必ずあります。

>でも、才能あるホメオパスはきちんと見いだせるんですよね。

そうですね。その人が、あらゆるレベルにおいて、どのような人なのかを的確に把握することで、より近しいレメディを選ぶのでしょう。

ただね。現実問題としてホメオパシーが200年以上生き残っていて、現在も多くのホメオパスがそれで生活していることを考えると、その目指す方向性さえ間違わなければ(←ここのところが非常~に重要だと思います。)、天才ホメオパスじゃなくても、かなり現実的に効果のあることが出来ているのだと思います。

問題は、どのような療法においても(現代正統医学と呼ばれているものも含みます。)そのメソッドを使うことだけが同じで、行われる方向性、世界観、内容が全く違う療法がありえます。っていうか多いです。

ホメオパシーも、ホメオパシーレメディを飲むことが、ホメオパシー療法なのでは決して!ありません。少なくとも私にとっては、そうですし、多くのホメオパシー療法を求める人たちにとっても(それが意識されているかどうかはともかくとして)そうであると思います。。現代医学を求める人たちだって、そうであるからこそ、そうではない事実がそこにあるときに、ショックを受けたり、失望したりしているのではないでしょうか。

オルガノンの第一章にあるように、またヒポクラテスの書にあるように「患者を傷つけてはならない」のです。

確かに一次しのぎだけを望んでいるような病人は多いことでしょう。でも本質的に自分が傷つけられることを望んでいる人は、誰もいないと思います。

あ、いかん。また熱く語ってしまったわ。

のりんさん<
セッションの受け時って確かにありますよね。
ただホメオパシーの場合は、日本に専門家の数自体が少ないし、熟練した専門家はもっと少ないです。そこが現実問題として難しいところです。ほんとうに感動的なんですけどね。良いセッションは。

そして以前、授業でDavid Mundy先生が「このようなことが起るようなことを、ホメオパシー以外に私は知らない」とおっしゃっていたようにホメオパシーに感動を覚えることは多々ありますが、だからといって他の療法ではありえないとも思えません。

よき療法家と自身が本当に良い場を作ることが出来たら、もしくは自分自身の力でその場がありえれば、同じことは起ることでしょう。

んーー。混乱するような、矛盾するように聞こえるようなことを言っていますね。すみません。

良い療法家に出会うことが良きホメオパシーに出会える大前提であることを言いたいわけです。

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