最終試験

2002年01月31日

いよいよ最後の試験になった。

朝、いおpさんを幼稚園に送ると、いおpさんは、自分から先生に抱かれに行って、私がさよならをすると、口をへの字に曲げて、ぐっと泣くのをこらえているようだった。いおpさんのがんばっている姿に、私まで泣きそうになった。明るくバイバイをするといおpさんも先生の首にぎゅっとつかまりながらバイバイしてくれた。

バイクでカーフールまで出て、朝食を取りながら、足の反射区を暗記する。もう泥縄式って感じ。でも結局は、覚えておかないと今後困るので、一気にに集中して覚えようとがんばる。少し遅刻をして学校へ行くと、藤垣先生が、「ワチャラ先生が実技試験を午後に伸ばして、午前中の筆記試験の後少し練習をしてもいいといってくれている」と言う。な、なんてありがたい申し出だろう。ミーティングの後、急いで筆記試験を終えて、フットの3人で練習をした。中級を終えたあとは、ずっと一人だったので、こうして一緒に学ぶ仲間がいると、とても楽しいし、心強い。

昼食後、すぐ試験。なんだか集中するあまり、一瞬真っ白になってしまう時があって、焦った。試験後、幾つか先生に注意点を指摘されて、少し落ち込む。が、試験の結果は、素晴らしいものだった。なんと97点!!今まで出最高の点数で、最後の試験を終えることが出来て、有頂天の私。

幼稚園へいおpさんを迎えに行って、早速、いおpさんに報告と御礼をした。出来れば、どこかでど~んと打ち上げたい気持ちだ。家に戻ったらMAMIさんに電話してみようと思う。バス停で、バスを待っていたら2台ほどバスに素通りされて、ちょっとムッとしたけれど、「どうせ混んでいたからいいよ。」と思えるくらい、浮き足立っている嬉しい私。と、後ろから「いおpさ~ん。」と呼ぶ声がする。振り返ると、MAMIさんとりょっぽくんがこちらに歩いてくる。なんて言う偶然だろう。MAMIさんたちは、いおpさんに会いに来てくれたらしい。私達が帰ってしまったと聞くと、りょっぽくんは泣いてしまったらしい。ありがとね。「もしかしたらまだバス停にいるかもしれない。」と先生に言われて、慌てて来たそうだ。バスが行ってしまわなければ、会えなかっただろうと思うと、その偶然に驚く。いや、偶然と言うのは無いのだね。

7時からお兄さんと食事をするというので合流させてもらうことにして、それまでの間、うちに来てもらうことにする。バスでON NUT駅に出てLOTUSで買い物をして家に帰る。早速ビールで合格祝いをしてもらう。嬉しいなあ。りょっぽくんは、いおpさんと其々に遊んでいる。7時前に家の側でタクシーを拾って待ち合わせの店に行った。タクシーに乗るときにお惣菜屋のおばちゃんに、声を掛けられて、なんだか地元感を強く感じだ。言葉がしゃべれなくても、なんとなく馴染んで行くもんだなあ。

日本風の居酒屋で食事。お兄さんの友人が5歳の女の子を連れてくる。さっき日本から一人出来たところだと言うので、驚く。お父さんの働くイサーンで1ヶ月過ごすのだそうだ。食事をしているうちに女の子が「お腹が痛い。」と言い出して、うろたえる父。私とMAMIさんは、疲れと不安のせいだから、家で寝ていたらよいと其々に心の中で思うのだが、普段子供を見ていない父親は、やはり不安なのだろう。結局、病院へ連れて行った。それまでのすったもんだの間、時間稼ぎにはなるだろうと思って、手元にあったポースティーラを飲ませる。そうしたら保険証を捕りに行っている間に寝てしまったそうだ。田舎で普段一緒に過ごしていない父親と1ヶ月過ごすと聞いて、私まで少し心配になって、手元にあったナックス・ヴォミカとポースティーラの小壜を父親に手渡した。何かの役に立てたら良いなあと思う。

また、タクシーで10時過ぎに家に戻る。後日、MAMIさんから「散財させてごめんね。」と電話が入った。私が節約生活をしているのを日記を読んで知っていたのだろう。気を使ってもらって申し訳ない。確かに私の普段の生活から考えると、驚くほどの出費だったけれど、最後の打ち上げだし、楽しかったし、それでいいのよ。いや実際、日本円で考えたら、それほどの金額じゃないし。でも駐在員の日常は、その金銭感覚で暮らしているのだなあ。と、じみじみ思ったのも事実だ。

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Posted by shoko at 2002年01月31日 22:48